AIはシンガポールでの就業機会を奪うのか
Jocelyn on August 31, 2026
執筆: Rose Tan
編集・加筆: Yuhei
調査:Jocelyn Lim
シンガポールの労働市場をAIはどう変えたか──日本語人材の居場所
シンガポールの労働市場は今、テクノロジーの普及に伴い構造変化を遂げています。特にAIの進展は、多くの求職者に「自分の仕事は将来どうなるのか」という問いを投げかけています。
しかし、実際の公的データを読み解くと、AIは一様に「仕事を奪う」存在ではなく、「需要が向かう先の変化」という新しい地図を描き出しています。本稿では、シンガポール採用市場に特化し2006年から支援を続ける当社(Good Job Creations)が、最新マクロデータに基づき労働市場の現在地と、「日本語と英語を使える人材」に吹く追い風を客観的に解説します。
実際、当社の面談でも「今の職種はこの先も残るのか」というご質問をいただく機会が増えています。不安の中身は人それぞれですが、共通しているのは判断の材料が足りないことです。
「AIが仕事を奪う」という見方が、データと合わない理由
デジタル経済の影響は「IT業界」ではなく、経済全体に広がっている
情報通信メディア開発庁(IMDA)の2025年レポートによれば、2024年時点で、デジタル経済はGDPの18.6%を占めています。興味深いのは、そのうち情報通信セクターの貢献が6.0%であるのに対し、他産業(非情報通信)によるデジタル資本の貢献が12.6%と、全体の約3分の2を占めている点です。
また、人材開発省(MOM)の2026年の調査では、AIを導入した企業のうち「人員削減を行った」と回答したのはわずか6.2%に留まりました。対照的に、「職務内容の再設計」が18.9%、「新たにAI関連のポジションを創出」が13.9%に上っています。AIは既存の人材を排除するのではなく、補完し、役割を再定義する方向に働いています。
当社にいただくご相談にも同じ傾向が表れています。人員を減らすためではなく、現行業務を整理したうえで既存の人材をより判断の必要な業務にアサインしたい、という前提でのご相談が増えています。また、これまで社内になかった役割について、どのような経歴を持った人材を想定すべきかというご質問もいただきます。
シンガポール企業のAI導入は、どこまで進んでいるのか
企業規模により開く差
前述のMOMの調査によると、2026年時点での民間企業におけるAI導入率は28.5%であり、全体の71.5%は未着手です。導入済み企業でも、中核ビジネスプロセスに統合しているのは3.8%にとどまります。 企業規模別に見ると、従業員数による導入率の差が顕著であり、25人未満では23.9%、501人以上では76.4%と、大きな開きがあります。
業種によって、AI導入有無は大きく違う
業種別でも導入の進度には大きな開きがあります。情報通信(74.1%)、専門サービス(57.5%)、金融・保険(56.4%)などデジタル密度の高い上位3業種が牽引している一方で、小売(23.4%)や飲食(21.9%)などのセクターでは導入が遅れています。 当社がご支援している日系の中堅企業でも、この差は実感されるところです。関心は高い一方で、専任の担当者や予算を確保できず、議事録の作成や資料の翻訳といった定型業務からの部分的な導入にとどまるケースが多く見られます。
需要の地図──採用需要が集まる場所と、AIが進む場所は同じではない
採用需要はどの職種・業種に動いているのか
市場で求められるスキルセットも変化しており、求人動向を見ると、需要の重心はAIを「作る」テクノロジー業界(I&Cセクター)の内側から、それ以外の領域へと広がりを見せています。
第一に、テック職(デジタル専門職)の雇用成長の速さです。IMDAのデータによると、2024年のテック職の従業員数は21万4,000人に達しましたが、非I&C(非情報通信)セクターでの雇用成長率が3.9%と、I&Cセクターの1.1%を上回っています。全体の中央値4,860SGDに対し、テック職の月額賃金中央値は7,950SGDと高水準を記録しています。
第二に、専門職層(PMET)の需要の底堅さです。2026年3月時点の求人倍率(求人求職者比率)は1.46であり、前年12月の1.58から低下しました。しかし、MOMのレポートによれば、求人数の減少(77,700件から73,300件)は主に非PMET求人に集中しています。MOMは「AI導入の影響は、仕事が存続するかどうかよりも、仕事の行われ方に大きく現れている」と評価しています。
また、2026年第2四半期の人員整理数(4,500人)も、その主な要因は外需型セクターでの事業再編であり、不況による解雇トレンドではありません。
つまり、動いているのは「需要の階層」です。専門職層(PMET)の需要は落ちておらず、さらにその活躍の場は情報通信業界の外側へと広がっています。
この地図の中で、日本語人材の居場所とは
日本語人材が多く担う職務と、その業種の位置
日本語人材の需要が伸びている職種はどこか
PwCの2026 Global AI Jobs Barometer(シンガポール版)によれば、2025年のAI関連求人のうち約82%が「AI利用者職(AI user roles)」であり、「AI開発職」ではありません。前年比での増加数を見ても、AI利用者職が約+26,000件であったのに対し、開発者職は約+4,200件にとどまっています。AI関連求人の業種別シェアはテクノロジー・メディア・通信が最大ですが、政府・公共部門や金融サービスも大きな割合を占めています。
「日本語と英語を使える」ことの価値は、どう変わったか
現在、在シンガポール日系企業は、Employment Pass(EP)審査の第2段階として2023年9月に導入されたポイント制評価枠組み「COMPASS(補完性評価フレームワーク)」への対応から、外国人採用を厳格化されています。JETROの調査では、人員構成を見直した日系企業の約半数が外国人労働者数を「削減した」と回答しました。 採用ハードルが上がる中、単純作業が自動化されていくからこそ、出力データをいかに解釈し、文化的背景の異なるステークホルダー間で論点を調整できるかという「人間ならではのヒューマンスキル」を持つ人材は、代替されにくい高い価値を持っています。
これからシンガポールでキャリアを考える方へ
変化の地図を、次の一歩に変える
デロイトの2025年の調査によると、シンガポールのZ世代の75%、ミレニアル世代の77%が「自動化の影響を受けにくい仕事を探すことを検討している」と回答しています。労働市場が変化し、採用要件が厳格化する今こそ、ご自身の専門性の価値を客観的に見つめ直す良い機会です。ご自身のキャリアプランについて、まずは一度コンサルタントにご相談してみませんか?
よくある質問 (FAQ)
Q1. AIでシンガポールでの就業機会は減っていくか?
MOMの調査では人員削減は6.2%に留まり、18.9%が職務の再設計を進めています。就業機会の消滅ではなく業務の行われ方が変化し、新たなスキルが求められています。
Q2. AIが進んでいない業種は、これからどうなる?
小売や飲食などAI導入率が20%台の業種は、今後デジタル化の余地が大きいです。実務を理解しツールを業務に落とし込める人材には、長期的な機会が生まれます。
Q3. 日本語人材の強みは、AI時代でも通用する?
言語の直訳だけでなく、文化的な文脈を含んだ意思決定支援や、日本本社とのハイコンテクストな交渉における「人間の調整力」は、代替困難な価値として評価されます。
Q4. 日本にいても、シンガポールの仕事に応募できる?
可能です。ただし就労にはEPの審査「COMPASS」を満たす必要があります。現在の市場水準と経歴が合致するかを確認することもできますので、転職をご検討の際はお気軽にご相談ください。
Q5. シンガポールで働くのにAIスキルは必須か?
高度な開発能力は不要ですが、出力データを論理的に解釈し業務に落とし込む力は重要です。市場需要の8割以上が開発者ではなく「AIを利用できる人材」に向かっています。
